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    喧嘩

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    川勝 平太(かわかつ へいた、1948年〈昭和23年〉8月16日 - )は、日本の経済学者、歴史学者、政治家。静岡県知事(公選第17・18・19・20代)。 早稲田大学政治経済学部教授、国際日本文化研究センター副所長、財団法人総合研究開発機構理事、静岡文化芸術大学学長(第2代)、学校法人静岡文化芸術大学理事長(第2代)を歴任した。…
    145キロバイト (20,608 語) - 2024年4月10日 (水) 14:20

    (出典 pbs.twimg.com)


    ある意味強いなぁ

    1 尺アジ ★ :2024/04/10(水) 22:59:14.90 ID:WLyqt3to9
     職業差別ともとられかねない発言をして物議をかもした静岡県の川勝平太知事が10日、辞職願を県議会議長に提出した。だが、記者側から心境を問われてこたえた発言が、またもや火に油を注ぐ結果となっている。

     当初は6月の県議会初日に辞職するとしていたが、予定を早めた。この日、辞職願を届けるために知事室を出た際、報道陣から今の心境を問われて「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人もひとなれ」と、明智光秀の娘「細川ガラシャ」の辞世の句を詠んで応えた。

     これらがテレビやネットニュースで続々と報じられると、辞職願提出という本題ではなく、「花も人も散り時を心得てこそ美しい」という意味の細川ガラシャの句が大きく注目を集めた。

     ネットでは「流石に喧嘩売ってるよね?」「失言で退陣に追い込まれた人が使うの、失礼すぎないか?」「そういう使われ方されると不愉快」「辞世の句を詠み退職ってまじか」「またもや…最後も…」と批判的な声が目立っている。

    4/10(水) 20:41
    中日スポーツ

    https://news.yahoo.co.jp/articles/a44f0e9f586d996ffe884c7835b1e6d2d062bb76

    【「ケンカ売ってる?」川勝知事やはり悪手…】の続きを読む

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    木村 拓哉(きむら たくや、1972年〈昭和47年〉11月13日 - )は、日本の歌手、俳優。男性アイドルグループ・SMAPの元メンバー。愛称はキムタク。SMILE-UP.(旧ジャニーズ事務所)所属。東京都調布市出身。 本人の知らないうちに親戚が履歴書を送り、1987年11月、ジャニーズ事務所に入…
    98キロバイト (12,461 語) - 2024年3月20日 (水) 01:38

    (出典 thumb.ac-illust.com)


    ずっと一緒にいればまぁ

    1 冬月記者 ★ :2024/03/28(木) 23:09:43.11 ID:KzOWYq1l9
    https://news.yahoo.co.jp/articles/883fec509b80062d9763a108ab1829253fe641a7

    鈴木おさむ氏 木村拓哉と中居正広の“ガチげんか”明かす「あまり言ったことないけど乱闘になったんです」


     3月いっぱいで放送作家業と脚本業から引退する鈴木おさむ氏(51)が28日までにタレントの勝俣州和(59)の公式YouTubeチャンネル「勝俣かっちゃんねる」に出演。27日にSMAPをモチーフにした小説「もう明日が待っている」を発売した鈴木氏が、SMAPのエピソードを披露した。

     鈴木氏は「95年くらいかな、木村君とラジオを始めた時に現場に行ったら怒ってたんですよ。めっちゃ」と、木村拓哉が怒っていたと話し始め理由を聞くと、番組でドッキリにかけられたと明かしたという。

     そのドッキリとは、フジテレビで95年に放送された「SMAPのがんばりましょう」の番組に、「バブルガム・ブラザーズ」のブラザー・コーンが仕掛け人で登場するもので、香取慎吾にプレゼントしたペンダントキーホルダーで、最初からないリングの部分がなくなっていることに激怒するシナリオだったという。

     ブラザー・コーンと木村は元々リスペクトし合う間柄だったが、香取がブラザー・コーンに責められているのを見た木村が激怒。

     「『コーンさん、ないって言ってるじゃないですか、慎吾!』って言ったんです」と言ったところ、現場が一回中断したという。プロデューサーが間に入って、木村をなだめようとするものの「木村拓哉も腹が立っているから、ちょっと失礼なことを言ってしまったらしいんですよ。もう止まらないんです」と振り返った。

     すると、仕掛け人のはずの中居正広が、木村の態度に腹を立てて「お前、なんだその態度は!って、ドッキリ中なのに2人がガチげんかになって」と振り返り、森且行らが2人を止めるが、止まらないため「エルボーしたりしてて」と明かした。

     鈴木氏は「その話を一部始終聞いて、テレビを見たら、めっちゃ短くなっていた」と語り「そういうのを含めてSMAPですよね。なんで、皆で仕掛け人だったのに、『プロデューサーに失礼だろう』って怒る理由をすごいし、それでメンバー同士がケンカって…。ドッキリ中だろって。コーンさん追いてけぼりです。僕、あまり言ったことないけど、乱闘になったんです」と語った。

     それを聞いた勝俣は「超おもしろいね。それを聞いてSMAPをもう1回好きになっちゃうもんね」と言うと鈴木氏も「本当に同い年の男みたいな奴だなと思って。怒るし、ケンカするし、むかついたら殴り合うし。アイドルじゃないじゃんみたいな」と振り返っていた。

    【木村拓哉VS中居正広の乱闘ガチ喧嘩を放送作家が明かす】の続きを読む

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    19941994 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる平年。平成6。 この項目では、国際的な視点に基づいた1994について記載する。 干支:甲戌(きのえ いぬ) 日本(月日は一致) 平成6 皇紀2654 大韓民国(月日は一致) 檀紀4327 中華民国(月日は一致)…
    32キロバイト (3,650 語) - 2024年1月16日 (火) 10:07

    (出典 eureka-biz.com)


    まだCDが小さかった頃かな

    1 冬月記者 ★ :2024/02/18(日) 00:21:06.22 ID:SbtMTQoT9
    ミスチル、小室、ビーイング、SMAP覚醒から桑田vs長渕のケンカまで…Jポップは1994年に「絶頂」を極めた。


     今から30年前、1994年の日本レコード大賞は、Mr.Childrenの「innocent world」が受賞した。

     彼らが次作「Tomorrow never knows」のMV撮影のため授賞式を欠席したことで、レコ大にとっては黒歴史になってしまったが、評価としては至極真っ当だった。

     「innocent world」はオリコンシングルセールスランキングにおいて、この年度の1位作品であり、Jポップが絶頂を極めたこの年を象徴するものでもあったからだ。

     なぜ、この年、Jポップが絶頂を極めたといえるのか。それはこの記事が進むうちに、わかっていただけるだろう。

     ミスチルは前作「CROSS ROAD」でブレイク。桜井和寿がこれを書き上げたとき、「遂に100万枚セールスする曲が出来た!」と叫んだというエピソードもある作品だ。

     実際、この予言は的中。そこから96年の「花 -Mémento-Mori-」まで、ミスチルは8作連続でミリオンセラーのシングルを出し続けた。

     桜井が「100万枚」にこだわったのは、当時、大ヒットの基準がそれだったからでもある。

     バブル景気は90年に崩壊したとはいえ、すぐに打撃を受けたのは銀行や商社、ゼネコン、不動産の関係者。日本人の多くはまだまだ裕福で、気持ちも浮かれ気味だった。おかげで90年代の音楽シーンは、CDバブルとでもいうべき状況となったのだ。

     桜井のほかにも、この年、ミリオンセラーを初体験した大物がいる。小室哲哉だ。

     年間3位となった「恋しさと せつなさと 心強さと」(篠原涼子 with t.komuro)をはじめ、計3作のミリオンを達成(残り2作は、trf)。ここから小室ブームが始まり、翌年からは小室プロデュース作品がレコ大を4連覇することになる。

     なお、オリコンのデータでは、84年から89年まで、ミリオンセラーは途絶えていた。90年に久々の100万枚超えを果たしたのが「おどるポンポコリン」(B.B.クィーンズ)。いわゆるビーイング系のユニットだ。

     ビーイングはCDバブルの火付け役でもあり、翌年以降、B'zや大黒摩季、ZARD、WANDS、DEENなどでミリオンセラーを量産していく。94年もその勢いは健在で、4作で百万枚超えを達成。ミスチル、小室、ビーイングだけで9作のミリオンが生まれたこの年は、トータル18作というミリオンラッシュとなった。


     ちなみに、翌年と翌々年の作品数はこれをさらに上回るわけだが、筆者が94年こそJポップの絶頂期と見るのは、達成したアーティストの顔ぶれにバランスのよさを感じるからだ。

     広瀬香美や福山雅治といった当時の若手がいる一方で、中山美穂や藤井フミヤのような80年代アイドルも健闘している。また、藤谷美和子・大内義昭によるデュエットソング「愛が生まれた日」も100万枚超え。作詞は秋元康だ。

     さらに、松任谷由実、中島みゆき、CHAGE&ASKAといった70年代から活躍する人たちも健在ぶりを示した。これはJポップが誕生した経緯を考えても、なかなか興味深い。

     というのも、70年代にフォークやロック、ニューミュージック、シティポップなどと呼ばれていたものが「新時代の歌謡曲」としてひとまとめに進化(? )したのがJポップだとするなら、ユーミンやみゆき、チャゲアスはまさにその流れを象徴する人たちだからだ。

     この人たちは80年代、松田聖子や柏原芳恵、光GENJIといったアイドルへの作品提供でも結果を残した。いわば、アイドルという実験場において、歌謡曲的なヒット手法を学んだことが90年代でのさらなる成功につながるわけだ。

     また、このようなジャンルを超えた異種交配のようなコラボが繰り返されるうち、細かいジャンル分けは無意味化していった。その結果「Jポップ」という大ざっぱだが便利な呼び方が生まれ、定着していくのである。

    続きはリンク先
    https://news.yahoo.co.jp/articles/0ab8a21cf257fbe6097140ec29a3c3206f674f05?page=1

    【絶頂を極めた1994年のJーPOP  SMAP覚醒から桑田vs長渕のケンカ、ミスチル、小室】の続きを読む

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    GACKT (ガクトからのリダイレクト)
    GACKT(ガクト、1973年7月4日 - )は、日本の男性シンガーソングライター、俳優、YouTuber。 沖縄県生まれ。沖縄県出身。本名:大城 ガクト。旧芸名:Gackt(読み同じ)、別名義:神威 楽斗(かむい がくと、Gackt Camui)。日本の個人マネジメント事務所は合同会社VENUS…
    88キロバイト (8,222 語) - 2024年2月4日 (日) 00:48

    (出典 encount.press)


    少しわかりにくいですね・・・

    1 征夷大将軍 ★ :2024/02/11(日) 15:48:42.30 ID:0oDfdmak9
    スポニチ2024年2月11日 15:46
    https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/02/11/kiji/20240211s00041000333000c.html

     歌手・GACKT(50)が11日までに更新されたYouTubeチャンネル「DROPOUT ドロップアウトした冒険者たち」にゲスト出演し、あの大物ミュージシャンの楽屋に怒鳴りこんだ過去について明かす場面があった。

     「SUGIZOさんとケンカしてませんでしたっけ?」と直球質問を投げかけられたGACKTは「ふはは」と苦笑しながら“事件”を振り返る。GACKTがあるイベントに出演した際、出番前にメンバーと気合入れをしていたところ、隣にあったSUGIZOの楽屋から「うるせぇ!バカ野郎」と言う声が聞こえてきたという。

     SUGIZOのことを「めちゃくちゃ尊敬していた先輩」というが、この罵声を受けGACKTは単身で楽屋に乗り込んだそう。「“ぶっ飛ばすぞ、この野郎!”ってドアを蹴飛ばして入って行って」といい「そしたらSUGIZOが本を読んでて“え?”って顔をしたんだよ。僕もアレって思ったんだけど止められなくて。“この野郎!”って言ったら、SUGIZOも“なんだこの野郎!”って言って、ぐっちゃぐちゃに」と“乱闘”騒ぎになってしまったという。

     「後々聞いたんだけど、SUGIZOはただ本を読んでいて、サポートメンバー全員がそれを言ってたんだって。そこで偉い人に“SUGIZOが言ってなかったとしてもトップの責任じゃないの?”って言って。ただ、蹴とばして楽屋に入ったのは申し訳ない」と笑いながら、現在は和解し良好な関係であると話していた。

    【GACKTさん 超大物の楽屋に怒鳴りこんでいた過去を告白・・・】の続きを読む

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