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    卑弥呼

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    0213)が含まれています(詳細)。 邪馬台国 邪󠄂馬臺國   邪馬台国(やまたいこく/やまとこく、旧字体: 邪󠄂馬臺國)は、2世紀 - 3世紀に日本列島に存在したとされる国(くに)のひとつ。邪馬台国は倭女王卑弥呼の宮室があった女王国であり、倭国連合(邪馬台国
    78キロバイト (13,927 語) - 2023年12月11日 (月) 07:41

    (出典 app.k-server.info)


    わくわくはしますね

    1 樽悶 ★ :2023/12/25(月) 23:39:58.97 ID:cGuMJmmu9
    10日に開かれた邪馬台国阿波説について学ぶ集会(徳島市で)

    (出典 newsatcl-pctr.c.yimg.jp)


     「邪馬台国は徳島にあった」とする「邪馬台国阿波説」に着目した地域活性化への取り組みが進んでいる。徳島県内の郷土史家らが神話や出土品の分析を通じて主張している新説だが、昨年頃から興味を持った多くの歴史系ユーチューバーが取り上げ始めた。現地ツアーなどで観光客を呼び込もうとする動きも出てきており、県も後押ししている。(北野浩暉)

     邪馬台国は、中国の正史「三国志」の一部である「魏志倭人伝」に登場。内戦の末、約30の国々が女王・卑弥呼を共立して政治連合体を結んだとされる。江戸時代以降、その所在地について「畿内(近畿)説」と「九州説」を中心に論争が繰り広げられてきており、「古代史最大の謎」となっている。

     「阿波説」は1970年代、県内の郷土史家らが遺跡や魏志倭人伝の分析などから本を出版して以後、史家らが団体をつくるなどして、イベントや勉強会を続けてきた。

     有力2説に対し、阿波説では、魏志倭人伝に記された朝鮮半島から邪馬台国までの距離や行程を分析すると、徳島に行き着くと主張。畿内説や九州説は距離の単位や方角の解釈が誤っているとする一方、県内の神社や遺跡などには、記述と一致する特徴が多々あるとしている。

     例えば、阿南市の国史跡・若杉山遺跡では、赤色顔料「朱」の原料となる鉱物「辰砂(しんしゃ)」や過去に使った石臼などが採掘されており、「その山に丹(辰砂)あり」との記述に一致しているという。

    ■映画も製作

     阿波説を盛り上げようと、徳島商工会議所青年部は、女子高生が卑弥呼と徳島の関係などについて探るストーリーを描いた映画「少女H」を製作。昨年、県内や東京都で上映後、今年5月に動画投稿サイト「ユーチューブ」で公開すると約9万回再生された。ほかにも、歴史や都市伝説を扱うユーチューバーが相次いで阿波説について紹介している。

     同青年部で製作に携わった徳島市の保険代理店経営、山本高弘さん(49)は「こんなに面白い話はなく、県外の人からも関心が強い。剣山にユダヤの秘宝が眠るとされる伝説なども含め、県内の古代史に関する逸話を整理してさらに広めたい」と語る。

     今月10日には、歴史を通じた街おこしに取り組むNPO法人「吉野川に生きる会」(島勝伸一理事長)が、徳島市の県青少年センターで、阿波説について考える集会を開いた。

    ■ツアーも計画

     郷土史家の島勝理事長や愛媛大学の越智正昭・客員教授らが、出土品や地質学、気候などの観点から阿波説について解説。島勝理事長は「阿波説は論理的に実証できていると思うし、県民にとって誇りにもつながる」と力を込める。

     これらの動きを受け、読売旅行は来年3月、郷土史家を講師とし、阿波説にまつわる神社などの歴史スポットを巡る1泊2日のツアーを計画。今月1日、貞広貴志社長らが県庁に後藤田知事を訪ね、協力を呼びかけた。

     県としても観光施策に取り入れていく方針で、後藤田知事は「阿波説は徳島の観光にとって伸びしろの一つ。今後他の説と対決させるなど、いろんな形でブラッシュアップさせていきたい」と述べた。

    12/22(金) 15:38配信
    https://news.yahoo.co.jp/articles/45c099b2852697e5053f35293e10098deedaf9f7

    【邪馬台国は徳島?ユダヤの秘宝がある場所・・・歴史系ユーチューバーが相次ぎ紹介】の続きを読む

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    0213)が含まれています(詳細)。 邪馬台国 邪󠄂馬臺國   邪馬台国(やまたいこく/やまとこく、旧字体: 邪󠄂馬臺國)は、2世紀 - 3世紀に日本列島に存在したとされる国(くに)のひとつ。邪馬台国は倭女王卑弥呼の宮室があった女王国であり、倭国連合(邪馬台国
    78キロバイト (13,927 語) - 2023年12月11日 (月) 07:41
    わかる時がくるのでしょうか

    1 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします :2023/12/20(水) 05:32:50.239ID:+QAM9pJ30
    西暦266年から413年は史料が殆ど残っておらず現代でも何が起きたのか謎とされている

    空白の150年前後で
    一大勢力であった邪馬台国は何故か消えており大和朝廷が日本を支配している
    更に鉄や馬も空白の歴史の中で日本に導入された


    一体何があったんだ・・・

    【日本史の「空白の150年」で消えた邪馬台国 なにがあったのか】の続きを読む

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    卑弥呼(ひみこ/ひめこ、生年不明 - 247年)は、『魏志倭人伝』等の古代中国の史書に記されている「倭国の女王」と称された人物。魏志倭人伝によると、倭人の国は多くの男王が統治していた小国に分かれていたが、2世紀後半に小国同士が抗争したために倭人の国は大いに乱れた。そのため、卑弥呼
    74キロバイト (12,775 語) - 2023年9月15日 (金) 11:14

    (出典 matome.naver.jp)


    昔すぎて難しい・・・

    1 樽悶 ★ :2023/09/17(日) 12:53:54.67 ID:MyTtEYTW9
    古代の日本で鬼道を駆使して政治を行い、活躍した卑弥呼。彼女の死について、今もなお様々な説が飛び交っている。

    ■果たして卑弥呼は殺害されたのか?

     卑弥呼について『魏志』倭人伝は年齢を「長大」と表現している。この「長大」をどのように解釈するかというと、年をとった女性とする説と成人女性とする説とがある。また、30歳半ばすぎとみる説もある。つまり、卑弥呼が邪馬台国連合の盟主とされた年齢については、あまり若くはなかったが具体的には不明ということになろう。

     それでは、亡くなったのはいつかというと、有力とされるのは247年もしくは248年頃という説である。この両年を支持する根拠のひとつとして、両年に日食(にっしょく)が起きているというのである。卑弥呼は、これら2度にわたる天変地異(てんぺんちい)によって、周囲の人びとから巫女としての能力を疑われ、最終的に死へと追いこまれたと考えるのである。

     しかし、一方では248年には日食は起きていないともいわれており、検討の余地が残されている。

     また、狗奴国(くなのくに)との戦闘を原因に考える説もある。邪馬台国の南に男王の狗奴国があり、両国は敵対していた。卑弥呼が魏へ遣使したのもこのことが原因であり、魏から正統性を認めてもらい、精神的な支柱を得ようとしたのではないかというのである。しかし、狗奴国との闘いに苦戦していた邪馬台国の状況をみて、魏からの使者である張政(ちょうせい)は、新しい王を立てることを要求し、その結果、卑弥呼は死に追いこまれたとする説だ。さらに、狗奴国との争いの最中に、戦死したのではと考える説も存在する。

     いずれにしても、『魏志』倭人伝には、卑弥呼の死に関しては「以死」としか記されておらず、詳細は不明である。(以下ソース)

    9/15(金) 12:00配信
    https://news.yahoo.co.jp/articles/10b778221e518b15d000ecf3ee59095f207aed1a

    (出典 newsatcl-pctr.c.yimg.jp)


    ★1:2023/09/16(土) 23:52:00.45
    https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1694875920/

    【果たして「卑弥呼」の死因は?殺害されたのか】の続きを読む

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    0212、JIS X 0213)が含まれています(詳細)。 邪馬台国 邪馬台国   邪馬台国(やまたいこく/やまとのくに)は、2世紀 - 3世紀に日本列島に存在したとされる国(くに)のひとつ。邪馬台国は倭女王卑弥呼の宮室があった女王国であり、倭国連合(邪馬台国連合)の都があったとされている。古くから大和国(や…
    76キロバイト (13,671 語) - 2023年9月8日 (金) 10:15
    ロマンがあります」

    1 樽悶 ★ :2023/09/10(日) 23:31:20.59 ID:qF3LMTM89
    14年前(2009年)に奈良県桜井市の古墳から見つかった、大量の鏡の破片を県立橿原考古学研究所が分析したところ、もとの鏡は100枚を超える数だったことがわかりました。

    ひとつの古墳から100枚以上の鏡が出土した例はほかになく、専門家は邪馬台国の女王、卑弥呼と関係している可能性があるとしています。

    およそ1700年前の古墳時代前期に造られた奈良県桜井市の桜井茶臼山古墳では、14年前に青銅製の鏡の破片が大量に見つかり、発掘調査を行った県立橿原考古学研究所は当時、もとの鏡の数は少なくとも81枚としていました。

    研究所が鏡の破片を3次元で計測し、コンピューター上で組み合わせて復元したところ、もとの鏡の数は103枚以上だったことが新たにわかったということです。

    鏡は14種類あり、最も多かったのは邪馬台国の女王、卑弥呼が中国から授かったという説もある「三角縁神獣鏡」で26枚でした。

    研究所によりますと、ひとつの古墳から100枚以上の鏡が出土した例はほかにないということです。

    【専門家“邪馬台国有力地”】

    今回の調査について古墳時代の鏡について研究している大阪大学の福永伸哉 教授は、「出土した鏡1枚だけでも有力な首長と言えるのに優れた鏡が100枚以上納められた古墳があるとは思ってもみなかった」と考古学的に非常に価値の高い発見だとしています。

    中でも「画文帯神獣鏡」と「三角縁神獣鏡」が数多く見つかっていることについて、福永教授は「邪馬台国」の女王、卑弥呼と大きく関係していると指摘しています。

    「画文帯神獣鏡」は、「邪馬台国」の時代と重なる同じ奈良県桜井市にあるホケノ山古墳でも見つかっていて、卑弥呼が政治で使ったとされ、19枚も見つかったのは今回が初めてということです。

    また「三角縁神獣鏡」は卑弥呼が中国から当時の日本の王と認められ「親魏倭王」となった後に使っていたとされ、26枚が出土しています。

    このことから福永教授は「邪馬台国の所在地としてこのような場所がかなり有力だと考えるのは自然だと思う」と述べたうえで、「邪馬台国からヤマト政権への連続性がはっきりとたどれ、ヤマト政権の王が桜井茶臼山古墳に葬られている可能性が非常に高い」と話しています。(以下ソース)

    09月07日 17時01分
    https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20230907/2000077699.html

    (出典 www3.nhk.or.jp)

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